2010年10月25日月曜日

通州事件

通州事件:

1937年(昭和12年)7月29日、支那・通州
(現在の北京市通州区北部)で起こった虐殺事件。

当時ここには、冀東防共自治政府が置かれていたが、1937年7月29日、
突如約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の
日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、
約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。

主犯の張慶餘は通州事件後は中国国民党軍に属し、最終的に中将まで昇格している。
なお、中国側では「抗日蜂起」とも言われる。

・強姦されて陰部にほうきを刺されて殺害されていた女性
・喫茶店の女子店員の生首がテーブルの上に綺麗にならべられていた
・斬首した女性に対する死姦
・腹から腸を出されて殺害されている者
・針金で鼻輪を通された子供

以上、日本人の平均的倫理観から見て殺され方が極めて異常かつ残虐であったため、
この様子が同盟通信を通じて日本に報道されると日本の対支感情は著しく悪化した。 

その後1937年12月24日、冀東政府と日本側との間で交渉が成立、
冀東政府は日本側に正式陳謝の上、120万円の賠償金を支払い、事件は解決した。

近年ではこの事件に対する報道は日中両国で
皆無であり、歴史の闇に埋もれようとしている。

中国政府公式対外宣伝刊行物の『南京大虐殺写真集』の目次では
『盧溝橋にて「北支事変」勃発、日本は華北を侵略する。日本軍は
第二次上海事変を起こし、上海へ出兵する。』と述べており、この事件に
ついては一切触れられていない。

小林よしのりの戦争論では細かく扱われている。

戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、弁護団は通州事件について、
外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。

吉林生まれで5歳時に河北省の通県で一家の父母と妹が虐殺された者が、
中国人看護婦により自分の子であると庇われ、九死に一生を得て日本に帰還した。

父は医院を開業していたが、保安隊が襲う直前に遺書を書き
中国人看護婦(何鳳岐:か ほうき)に預けたという。

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